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最高の結末のためなら 主役じゃなくていい。 名越 龍男/3x3.EXE PREMIER Referee

2020.07.07
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岐阜県は瑞浪市。とある高校に、社会と英語を教えながら、生徒指導の長や主任業務をこなし、18年間生徒を熱心に指導し続ける先生がいる。彼が教員の仕事と同じくらい力を入れているのは、バスケットの審判員。3x3.EXE PREMIERを含む3x3のトップレベルゲームやB.LEAGUEでさまざまな試合を担当し、2019年にはFIBA(国際バスケットボール連盟)の3x3レフェリーに認定され、活躍の場を広げている。バスケットの試合中に決して表に出さない思いを、まるで部活に熱中する生徒のように熱く語ってくれた。

 

―バスケットとの出会いについて教えてください。
姉の影響で、中学校からバスケを始めました。高校時代はフォワードとして活躍し、東京都でベスト16に入りました。当時は本当にバスケに夢中でしたね。始発で朝練に行き、昼休みもバスケをし、部活後は先生から体育館の鍵を預かって遅くまで練習をするのが習慣になっていました。勉強はそっちのけだったので、成績は下から数えた方が早いときも。親には「バスケをやるならちゃんと勉強しろ」と常に言われていました(笑)。

―高校卒業後は日本大学に進学されていますが、プレイヤーとして何か変化はありましたか。
私は身長が180㎝ありますが、入部した途端に身長は低い方に数えられましたし、将来日本代表に選ばれるような選手がごろごろいて、大学のバスケはレベルがまったく違うなと感じましたね。選手としてプレーをしていたのは2年生まで。3年生のときにコーチが抜け、チームの編成が変わったため、学生スタッフとしてアシスタントコーチを担うようになりました。4年生のときに膝をケガしたこともあり、プレイヤーとしては完全に前線を退くことになりましたが、下級生の将来ある選手たちが当時のチームを救ってくれたので、それを支える立場というのも十分にやりがいを感じていましたね。

―大学卒業後、バスケットとはどのように関わっていましたか。
友人のクラブチームや地域の試合でときどきプレーをしていました。当時はバスケ以外にもやりたいことが多かったという背景もあり、バスケをやる頻度は現役の頃に比べて低くなっていましたね。大学3年のときにミニバスを教えて以来、教員を目指したいと思っていたので、卒業後にはなりましたが教育実習に行き、教員免許を取得しました。教員になるにあたって、ひとつの職業しか知らないようではいけないと思い、介護職で働いた期間もあります。ほかにも、以前から憧れていた海外留学をしてみたり。かなり自由に時間を使いましたね。教員の仕事を始めたのは25歳から。岐阜の高校で社会の教員として働き始め、今に至ります。社会は学生時代、唯一得意だった科目です(笑)。

―これまでのご経歴で審判員をやる機会はあまりなかったようですが、審判員を始めたきっかけは何でしょうか。
教員になり、バスケ部の顧問として生徒のために審判員を行うようになりました。本格的にやるようになったのは、2012年の岐阜国体で審判員の強化リストに選ばれたことがきっかけですね。国体を盛り上げたいと思って参加しました。準備を始めたのは国体開催の2年くらい前からで、定期的に講習会へ参加し、いろいろな試合を経験していきました。そのうち、審判の目線からバスケに関わることが面白くなってきて。試合後は、選手、監督、スタッフ、観客など関係者全員の感動が伝わってくる特殊な雰囲気があるんです。そんな試合を自分の手で運営できたと思うと、大変やりがいを感じましたね。審判員としてもっと頑張りたいと思うようになりました。

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名越 龍男(なごし たつお)
1977年11月17日生まれ、東京都出身。日本大学鶴ヶ丘高校、日本大学卒業。教員として顧問を務めるバスケット部で審判員を務めたことをきっかけに、審判員としての道を歩み始める。2012年には岐阜で開催された国民体育大会において審判員に選ばれる。2019年からは、JBA公認S級審判としてB.LEAGUEの審判員を務め、2020年にFIBA 3x3 Referee C-Licenseを取得し、3x3.EXE PREMIERでも数多くの試合を担当している。

本記事は「We are 3x3」サイトに掲載されております。
https://doda.jp/sportlight/3x3/

“We are 3x3”は、新時代の生き方を体現する3x3プレイヤーを通じ、
“スポーツ”と“はたらく”の可能性を社会に広げていくためのプロジェクトです。

 

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